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苦労

昔から 苦労と言うものを したことがない ゆず庵です。

けんど 苦労 苦労 ち

どんな事をした事が 苦労と 言うのかがわからんがよ

つらい事ほど 面白かった。

ゆず庵社長は 小さい時

小学生の時は 

学校の帰りに 同級生の 目立つ いじめっ子からしたら

むかつく存在やったらしく 何人かで 待ち伏せ

されては 蹴られたり 殴られたりされよった

記憶があるがよ

けんど 自分の性格が 基本 どうしたち よう 

人の顔とかを よう なぐれんがよ。

小学校3年生の時

1回 はさみを持ちだして 

「おまえらあ それ以上やったら このハサミで・・・

このハサミで 自殺するぞ~ と 自分の 首にあてごうて

叫んだ事がある」

みんなあに あほか と言うような眼で見られたき

あ~ こんな 学校生活 いややねや~ 

早う 大人になって

自由になりたい と 思いつづけよって

やっと 中学校卒業して 自由になった 

17歳の時に 

高校へ 行って 勉強するのも

きらいになって 板場の修業にはいったがよ。

一番最初に働いた所は レストランやった。

ま~ 働きゆうみんなあは 料理の注文が入ってない時は

ぼーっとしたり漫画読んだり けんど ゆず庵は 

なにかをしよった 

とにかく 調理場を 徹底的に 端から端まで 

磨ききったき。

何年もたまった 床にこびりついた 油を のけて 

きれいに磨いたり。

カベも 鍋も 

みんなあが 「おりにくうなるき やめてくれえ」

「なにを 経営者に こびを 売りゆうがなあ?」

料理長と 経営者だけは がんばれよ と 言うてくれた。

けんど みんなからしたら 煙たかったろうに。

そこは 自分は 和食が希望やったけんど

今和食が 人が足りちゅうき と 洋食をやらされた

そこの 洋食のチーフが なんと 中学校の時の

同級生で その男に言われた

「おまえは 俺とは おんなじ歳やけんど ここでは

おれは 1年先輩やき 言う事を聞けよ と 言われた」

まあ 洋食の 6帖ばあしかない 調理場で その男と

1日 12時間ばあ 働くわけよ。

そらあ 耐えれんことも ようけあるわ。

ほんで 我慢して働いて 半年が 経って 和食に

変えて下さいと 言いに行ったら やっと 和食に 変えてもろうて

同い年の先輩から 離れて 解放感が 最高になったがやけんど

ほいたら 今度は

レストランやない 割烹料理を 覚えとうなって

その頃 知り合った 青柳佑介の」お父さん 

に あそこへ 行けと高知市内の料理屋を紹介されたが

調理場が 和食が 2人で 中華が7人もおって

おまけに 中華料理の 同い年ばあの男に

エプロンの付け方が 違うと 言われて 言い合いになった。

なんと 4時間働いて 逃げだした

ほんで 怒られるのを覚悟で

「あそこは いやです。」 言うたら 

ほ~ おまえは 見込みがあるねや と 褒めてくれて

ほいたら ワシの 弟子がおる 高松へ行け

と いわれて その日の夕方 高松へとんで 

そこで 2年間 働いた。

その間に 色んな 料理屋に 手伝いに行かせてもらい。

むきもの あのほら 大根で 鶴を彫ったり 人参で亀を

彫ったりする そんながを 教えてもらいよったがよ。

そこの店の 料理長 いつも 夜は 酒をのんで

フーフー 言いながら むきものを 教えてくれる。

ほんで その人の家に行って 泊まらしてもらうがやけんど

その日も いつものように 酒を飲んで クルマを運転して

帰りよったら 前の方で 飲酒運転の検問をやりよった。

片道2車線の広い道で ほんで 運転しよった

料理長 ざんじUターンして 逃げたがやけんど

すぐに 白バイが追いかけてきて ざんじ 飲酒でつかまって

警察で 泊まるはめになって ゆず庵は タクシーで帰ったのが

やった。

なんで 夜に 白バイがおるがやろうと思うた29年前。

  つづく

 

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ちょびっとでも 心に響いたら すんまん

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